船上から見たドーバー <後編>

 7月29日に2回目の予定だったが天候不順で翌30日になった。朝9時にハーバー・オフィース前に集合なので、昨日(29日)は気晴らしのためドーバー城見学をした。今回はこの「観光」が後にも先にもこれだけである。本来早めに終わっていれば、ドイツのミュンヘンにでも行ってホフブロイハウス(かのヒットラーが「ナチス党」を上げたことで有名なビアホール)の2L入る大型ジョッキでビールを乾杯しながら肩でも組んで、左右に身体を揺らしながら大声で唄でも歌おうとも思っていた。まあこれは次回のお楽しみかな・・・。
 早めの朝食もしっかりいただいてタクシーに乗る。前回ほどの緊張感は無いが、海に出る前のこの胸騒ぎは何とかならないものか。どうしても無口になる。
 ハーバー・オフィース前で降りてスバの停泊している桟橋を渡る。パイロットはニール、そして髭面でキンちゃんお気に入りのビール"ステラ"の名前の入ったジャンパーを着ている男(今後この男を"髭面ステラ)"と呼ぶ)の2名。オブザーバーは前回も来てくれた真面目な男1名。合計3名のクルーが今回お世話になる方々だ。前回の2Wayではクルーが5名だったので1Wayの3名は少なく感じるが、今までも1Wayはクルーが3名なので、「元に戻った」と言う感じ。
 髭面ステラを除けば前回と同じメンバーになる。少しは気心が知れたメンバーなので少し気が楽になった。しかし泳ぐキンちゃんを除けばサポートする日本人は私一人である。一人は良い。何故ならば、泳ぐのが例えばリレーだったりすると「クルー対チーム」の関係になる。つまり「団体対団体」の関係になると、お互いが「母国語」しか喋らない(喋れない?)し、妙に団体同士が閉鎖的になる。おそらく同じ言葉を使用していたとしても、"団体同士"はやはり閉鎖的になるような気がする。ところが一人だとこの"閉鎖的"は解除される。これは例え言葉が違っていても、目的が同じであるから私がクルーの中に入れる。それに少なくとも海を泳ぐサポートに関して、私を「素人ではない」とクルーが判断してくれているようにも感じているからだ。
 出航準備を終えるとスバは静かに桟橋を離れて行った。再びキャビンのベンチ・シートでキンちゃんと二人、お雛様のように座らせられると今度は寝るようなことはない。そしてキンちゃんにスバが「遠泳サポート専用船」であることを説明した。一応の説明が終わると今度は1回目が終わってから今に至るまでの数日間の思い出に浸っていた。

―フリーダ―
 1回目はいきなり早く泳ぐことになったので準備も顕わだったが、遅れる分には準備に余念が無く出来る。まあ1回目の失敗後、フリーダからいろいろアドバイスされた。特に栄養補給で「甘酒」は無い。「始めの4時間までは1時間ごとにマキシム+フルーツ・シュガー(果糖)+ティーを。これをメインにして次からは1時間と、30分を交互に。そしてお腹の満腹感のためチョコレートなどを与えなさい」、「チョコレート?」、「そう、こんなチョコレートが良いわね」と、フリーダは自分の持って来たバッグの中から『ミルキー・ウエイ』という袋を出し、その中の一つを私に渡した。試食してみる。「うわっ、甘い!」
 フリーダはとても親切で、このドーバー泳が決まったときキンちゃんの自宅までマキシム2kgを送ってくれたり、私にもメールでいろいろアドバイスを送ってくれたりした。時にそれは練習内容に及ぶもの以上までが入り、『親切』を越して『余計なお世話』に感ずるものさえあった。まあフリーダとは初対面ではない。しかし以前お会いしたときは「へぇ、これが噂のアリソンのママか」と思ったくらいのすれ違いだったし、第一「電子メール」などという存在が無かった時代である。でもフリーダは「あなたとどこかで会ったことがある」と私を覚えてくれていた。
 余談であるが、日本の太平洋岸を洗っている海流はご存知「黒潮」と「親潮」である。このような比類して顕著な流れである海流は、面積が太平洋や大西洋など卓越した海洋の「西岸強化」と呼んで、海洋の西側にしか存在しない。大西洋で言えばアメリカの大西洋岸に「(メキシコ)湾流(ガルフ・ストリーム)」(黒潮に当たる)と「ミルキー・ウエイ」(親潮に当たる)がある。この「西岸強化」は回転する天体(地球)の物理的流体力学から生まれるが、この内容について詳細は他の文献から参考にされたい。私はフリーダにもらったチョコの「ミルキー・ウエイ」とアメリカの東岸に流れる海流「ミルキー・ウエイ」の名前が一致しているので、「フリーダが選ぶチョコも"海"に関係しているなぁ」と感心しただけなのである。まあどんな余談かと期待された貴兄には、つまらん余談で失礼した。

―2回目は―
 フリーダが手書きで書いてくれた栄養補給のアドバイスでは、申し訳無いが日本人の我々には読むことが難解だった。スーパーに行っては側の人に「これは何て書いてあるのですか?」、「どこに売っていますか?」と聞いた。何故かイギリス人同士では慣れているのかその文字は読めるようだった。1回目のときは「これが日本の栄養補給だ」とも思っていたが、成功しなかった要点に栄養補給の失敗があったのかもしれない。2回目はやけに素直にフリーダのアドバイスを従った。
 ほどなくスバはアボッツ・ビーチの前に到着する。1回目同様、私はキンちゃんの身体にグリースを塗る。「肩さん、肩さん、今度こそキンちゃんをフランスまで連れて行ってくれよ」、「首さん、首さん、アリソンみたいな首にならないようにね」、「足さん、痛くなってキンちゃんを困らせないようにね」と念じながらグリースを塗っていった。
 「準備完了!」と私が言っても、すでにオブザーバーからのお決まりの注意事項の通告はない。まあ2回目だからね。「行ってきます」の元気な掛け声でキンちゃんはアボッツ・ビーチに向かって飛び込んで行った。
 9時57分、"パァァァ〜〜〜〜ッ"の出発音と共にキンちゃんはフランスを目掛けて泳ぎ出した。波高1m。ピッチ70。水温18℃。今度は朝発なのでフォルクストン(ドーバーの隣町)がよく見える。後方より2Way solo のメキシコ人女性が今スタートした。今日はこのメキシコ人女性と我々の2チームのみ。ドーバー港からアボッツ・ビーチに来る途中、スバは1隻のヨットを追い抜いていた。今度はこのヨットがスバを追い抜いて行く。お互いに手を振ってエールの交換をした。今度のキンちゃんはキックを力強く打っている。
 11時、ちょうどシェークスピア・ビーチの前に来る。栄養補給はマキシム+コーヒー+フルーツ・シュガー。方位185度。目的地まで31.2km。水温18℃。キンちゃんのご主人から電話が入る。そんなこんなをしているうちに、真面目なオブザーバーが話しかけてきた。「今日、海で試しているのは日本人やメキシコ人だけじゃないぜ」、「エッ!?」、「ほら見ろよ、あそこのシー・キャット(イギリス〜フランスを結ぶ高速船)、今、船員の訓練と船長の試験をしているんだ。イギリス人も試しているのさ」、「へぇー」。『この真面目なイギリス人のオブザーバー、負けず嫌いなのかな?』
 いずれにせよこのようなリラックスした些細な会話でも出来るようになった。これも彼らにとって、相手は私一人なので話してくるのだと思う。やっぱり一人が良い。
 それにしてもこのような情報はドーバー港の交通管制センターからマリンVHF(無線)を通じて流れてくる。そしてさすがジェントルマン・シップのお国柄、イギリスの精神はお互いが海を使用する権利を譲り合っている。どこかの国のような権利(利権?)を行使しあって閉鎖的、排他的になっている組合などがない。

―遠泳サポート専用船―
 海の泳ぎをサポートする船の条件は三つある。一つは小回りの利く小型船であること。一つは低速に優れていること。もう一つは風に流されないことである。この三つの条件を満足させるには、小型船全体の重量を重くすることである。しかしこの「重量を重くする」は今の時代に相反する。時代はシー・キャットではないが、「スピード」を求めているのである。スピードを求めれば、当然「軽量化」が進むのである。
 船の歴史は"木製"から始まる。最初の動力は人力か風頼りだったが、その動力が"エンジン"に切り替わると「大型化」、「スピード化」が進む。すると進化は「大型化」の材質は鉄骨や鉄板に、「スピード化」は材質がFRP(ガラス繊維)やアルミ合金と、対極は二分化するようになった。当然軽い小型船は"FRP"や"アルミ"が主な材質として使われるようになる。つまり昨今の小型船の特徴は「軽くてスピードが出る」なのだ。これでは遠泳サポート専用船としての条件を満足させない。しかし重い船を軽くするのは容易な事ではないが、軽い船を重くするのは簡単である。早い話、重量物を乗せれば良いだけのことである。船体全体の重量を重くすることは、日本で私が遠泳の伴走船を依頼するときいつも言っている事だが、船主は面倒なのかなかなか聞き入れてくれない。まあ方法が他にないわけでもない。シー・アンカー(パラシュートのような抵抗物を水中に入れて引きずる)を入れるなどしてもらえれば良いが、それも面倒なのか(持っていないのか)、なかなかやってくれない。
 遠泳のスピードは速い人でも2ノット(1ノット=1.852km/毎時)程度である。昨今の何も細工をしていない小型船で、エンジンをアイドリング状態にしてクラッチをつなげた場合、軽く3ノットは出てしまう。これではスイマーが置いてかれてしまうのだ。そこで伴走船のパイロットはスイマーのスピードに合わせるため、クラッチを断続的に入れたり切ったりして調整する。ここで問題なのはクラッチを切った状態で慣性の法則にのっとって船が進んでいるときなのだ。力のモーメント以外他の外力が船に加われていなければ問題無い。ところがそのような状態はめったに無い。海には風も波も存在しているのだ。つまり風など他の外力が船を押したらどうなるであろう。当然「切れた凧」状態になって船は風に流される。ところがスイマーはまだ船に追い付いていないとすれば、パイロットはクラッチを入れることも出来ずヤキモキする。するとこの遠泳は細かい蛇行を繰り返しながら進むことになる。結果、あまり良い遠泳(サポート)ではなくなる。
 同じ船を"重くした"としよう。喫水が下がるのだから当然船にかかる水の抵抗は大きくなる。仮にアイドリング状態のエンジンでクラッチをつなげたとしても3ノットは出ない。それが2ノットならば速いスイマーを相手にしたとき、まったくクラッチを切る必要はなくなる。これならば常に船は動力が加わった状態になるので"舵利き"も良くなるし風が吹いても対応はしやすい。仮に2ノットよりも遅いスイマーであってもクラッチを切っている時間が短縮出来るので、蛇行はさらに小さくなってあまり影響はなくなる。増してやシー・アンカーでも使えばWパンチで遠泳には向いてくる。このような船がまさに「遠泳サポート専用船」なのだ。
 シー・アンカーまでは積んでいないようだが、スバはまさにこの「遠泳サポート専用船」であって、船体がかなり沈んでいる。その証拠に栄養補給で左デッキに出ると、波がブルワーカーの排水口から逆に打ち込んできて、海水がデッキを洗っている。私には足にかかる海水で水温を感じ水温計で確認するが、一般の船でこんなことがあったら普通の人は「恐ろしい」と思うかもしれない。それに一般航行でスバの鈍いこと。日本の速い船に乗り慣れている私には、ちょっとイライラするくらいだった。

―霧の海峡―
 12時、ドーバーの町の沖を通過する。後方より追い掛けていた2Way solo のメキシコ人サポート船がスバを追い越して行った。辺りには霧がかかってくる。栄養補給はマキシム+紅茶+フルーツ・シュガー。目的地まで28km。水温17℃。ちょうど栄養補給の準備をしているときにかぎって国際携帯電話が鳴る。ほとんどがキンちゃんの水泳仲間だが、忙しいときにうるさい!
 13時、マキシム+コーヒー+フルーツ・シュガー。目的地まで25.1km。ピッチ67。水温17℃。方位140度。波高1.5m。南の風、風速10ノット。風が強くなってきた。霧はますます濃くなり周囲の視界が悪くなる。周辺を航行している船舶は"ボーッ"、"ボーッ"と汽笛を鳴らして自分の存在をアピールしている。この汽笛は四方八方から聞こえてくる。パイロットのニールはレーダーとにらめっこして操船する。
 操船を髭面ステラと交代した。ニールはその手を舵輪から無線機(マリンVHF)のマイクに持ち替えると、「こちらスバ、こちらスバ、現在ドーバーを泳いで渡る者の水先案内をしている。現在地は北緯〇×度△□分、東経◎●度▲■分。周辺を航行している船舶においては充分注意されて航行されたい」と周囲船舶に注意を促した。すると「こちら▼□、こちら▼□、スバ了解した。充分な避航処置をとって通過する。それにしてもドーバーを泳いで渡るとは凄いことをやっていますねぇ」と返事が帰ってきた。それを聞いた髭面ステラは「オオオオ・・・!!」と驚嘆の声をあげ、その大きな身体をのけぞらせた。『ん? 髭面ステラはサポート初心者か?』。この私の予感は的中した。「あなた初心者?」と聞くのは失礼になると思い黙っていたが、絶対に初心者である。
 この"初心者"とは操船の初心者の意味ではない。スイマー伴走の初心者の意味である。一般に始めて遠泳のサポートをするパイロットは、スイマーと船が接触することを恐れてあまり接近しない。同時にスイマーのスピードに合わせようとするためエンジンをふかしたりクラッチを切ったりの断続を行なう。そしてスイマーにばかり気を取られていると進行方向が定まらなくなる。
 スイマーと船の距離はニールに習ったのかキンちゃんが船に接近しても大きく避けることは無かった(スイマーが避けるから)。しかしキンちゃんのペースに合わせるため、エンジンをふかしたりクラッチを切ったりを断続している。そして時にドーバーに向かって舵を取ったりした。『おい、おい、おい、おい、俺たちは本番で泳いでいるんだぜ。これじゃ遠泳サポート専用船の能力を使っていないじゃないか。それに何処を向いて走って行くんだよ。まったく・・・』と私の機嫌は悪くなった。
 エンジンはふかさずアイドリングでも徐々にキンちゃんを追い付く事が出来る。そうすればクラッチを切っている時間も短縮できて、目的地を見ながらスイマーを船の横につけて操船することが出来る。ところが髭面ステラの操船では船から見るキンちゃんは、船首の先まで行ってしまったり船尾の後の方まで下がってしまったりすることもある。普通、2〜3時間でも経験すれば徐々に慣れてくるものだが、髭面ステラは"慣れ"と言う言葉を知らないのか?
 それでも後から聞いたキンちゃんの話では、「ステラの操船は"鬼ごっこ"をしているみたいでおもしろかった」と言う。まあ泳ぐ方が上を行っているのかな?

―木村さん―
 13時30分、フリーダの指示通り、これからは1時間と30分を交互にして栄養補給を行なう。マキシム+紅茶+フルーツ・シュガー。
 14時、目的地まで23.9km。方位120度。ピッチ67。水温17℃。波高1.5m。視界300m。周囲は霧で何も見えない。太陽が霧に隠れている分、寒く感じる。
 1回目を終えた後、キンちゃんは私にこう言った。「駿河湾を泳いだとき、木村さんは船の2階からずっと見ていてくれて、時々手を振ってくれていたりした。これは気持ちの上でずいぶん楽になった。だから2回目は先生に見ていて欲しい」。キンちゃんの気持ちはよく分かるし、私にも経験がある。誰も見てくれている人がいない遠泳は寂しいを通り越して心細く不安になる。しかし木村さんは"お客さん"だったのである。
 ドーバー・シミュレーションとして駿河湾の2Wayを計画した。この準備をしているとき、地元静岡県は清水で写真屋さんを営んでいる木村さんと知り合った。彼は同じコースで何回か泳いだことのある経験者で、このシミュレーションでもたいへんお世話になった方である。「是非見たい」と言うことで乗船していただいたが、まさかスタッフをしていただくわけにもいかない。増してやこのときは大荒れの中で泳いだので木村さんは船に酔われて2階デッキで遠くを眺められていた。もちろん泳いでいるキンちゃんの方を向いて座られているから、キンちゃんにしてみれば「ずっと見てくれていた」になる。お蔭様で素晴らしい写真をふんだんに撮っていただいたが、木村さんと同じことを私に求めてもちょっと難しい。
 「努力する」と答えてなるべくデッキに出るよう心掛け、声を掛けたり手を握って親指を立てる"GOOD!("グー"ではない)"のサインを送ったりしたが、ちょっとは努力を認めてくれたかな?
 でも「見てるだけ」では栄養補給が作れない。見て、撮影して、記録を取って、栄養補給を作って、与えて、使った食器を洗って元に戻す。これの繰り返しである。極力デッキには出るようにしたが、それも限界があった。増してやフリーダの指示では1時間と30分を交互に栄養補給をしなければならない。まあ結果的に私が忙し過ぎてこれを継続することは出来なかった。つまり「40分ごとの栄養補給」になってしまったのである。

―チャーハン―
 15時、目的地まで22.5km。波高2m。南の風、10ノット。方位125度。水温17℃。視界5〜10km。ピッチ68。マキシム+紅茶+フルーツ・シュガー。
 視界がだいぶ開けてきたが、フランスもイギリスも見えない。キンちゃんは足が痛くなってきたようで、時折大腿部のストレッチを行なう。そして「もうコーヒーはいらない」と言う。
 「おい石井、今からランチを作るが石井も食べるだろう?」とオブザーバーが聞いてきた。「イエス、サンキュー」と答えるとオブザーバーは1回目のキンちゃんのタマゴ粥がよほど食べたかったのか、中華鍋のようなものを出すとタマゴや肉、野菜の入った"炒めご飯"を作り出した。「これは日本では"チャーハン"って言うんだぜ」と教えてやると、「へぇー、チャーハンか・・・。おーい、これは日本では"チャーハン"って言うんだってさ」と皿に乗ったチャーハンを持って操舵室に行く。「おお、チャーハンか・・・」、「チャーハン、チャーハン」と言ってみんなでチャーハンをいただいた。けっこうおいしかったが泳いでいるキンちゃんには少し気の毒な気がした。

―髭面ステラとニール―
 16時、目的地まで21.4km。波高1.5m。方位137度。南の風、10.4ノット。水温17℃。視界は10kmくらい。フランスもイギリスも見えない。ピッチ68。マキシム+紅茶+フルーツ・シュガー。栄養補給で温度が高すぎた。
 16時30分の栄養補給も内容は同じ。
 髭面ステラは無神経な男だ。飲料水のペットボトルをあたり構わずラッパ飲みする。まあ私もあまり気にしないタチだが、気にするのは栄養補給で使う水まで平気でラッパ飲みをやる。こいつとキンちゃんを関節キスさせるわけにはいかない。「それが元で泳げなくなったら・・・」なんて考えると"ゾッ"とする。
 そんな髭面ステラが操船しているとき、私はキッチンでお湯を沸かしていた。揺れるスバの中では、沸くまでヤカンから手を離すことが出来ない。そこにニールがやって来て「ミユキは石井に"見てて"と頼んだのだろう。俺がこのお湯、沸かしといてやるから見に行ってやれよ」と言う。「オオ、サンキュー!」とお礼を言うと、「キンちゃぁ〜〜ん!!」とデッキに出て行った。ヘタクソ・ステラが操船しているから海ではキンちゃんとスバが鬼ごっこをしている。私は船首に行き「フレェ〜〜〜、フレェ〜〜〜、キンちゃぁ〜〜ん!!」、そして船尾に行っては「波に負けるなキンちゃぁ〜〜ん!!」と大声で応援した。
 栄養補給の時間が迫ってくる。ニールはまだ「お湯が沸いたよ」と知らせに来ない。『おかしいなぁ〜・・・』と思ってキッチンに行くとニールがいない。ニールはコックピットの隣にあるロッキング・チェア―にもなる椅子に座って海図が広げてある机に足を上げ、コーヒーを飲みながらくつろいでいた。『バカヤロ〜、"お湯が沸いたよ"くらい言いに来いよ!』と私は思った。慌てて栄養補給を作った。

―いっしょに泳ごう―
 17時、目的地まで19.1km。波高2m。東南東の風、16ノット。方位172度。水温17℃。ピッチ66。視界は良くなったが風と波が出てきた。フランスもイギリスも見える。キンちゃんはまた足を痛がってきた。これから暗くなる。でもこれからが本番。まだまだ元気!!
 「足が痛くなり始めたら、今度は俺がいっしょに泳いであげるからね」とキンちゃんに私は約束していた。1時間まではスイマーに触れなければエスコートしても良い。暗くなってからでは悪いし、足が痛くなった今がちょうど良いだろうと思った。「1時間ほどいっしょに泳いでくるから」とオブザーバーとニールに告げる。二人とも「OK」の返事。海水パンツに着替えると、ザブン!!
 「何じゃこりゃぁ〜」と思った。容赦無く2mの波は我々を襲う。息継ぎのタイミングで波の谷では何も見えない。波の山で始めて周囲が見渡せる。『キンちゃんは何処?』と探す。次の息継ぎでやっと発見し側に寄る。ところが今度はスバが見えない。スバはあのヘタクソ髭面ステラが操船している。『ああ、スバにも近づかなくちゃ』、『おお、今度はキンちゃんを見失った』、『ありゃ、キンちゃんが目の前にいる。キンちゃんに触れてはいけない。離れなければ・・・』、『おーいスバ、先に行くなぁー』などと、目標物が二つある中で荒れた海の難しさをことごとく味わっていた。波で身体がグラングランさせられる。『こんな中をキンちゃんは泳ぎ続けてきたのかぁ〜』と思うと、改めてキンちゃんの偉大さを知ったような気がした。
 30分もいっしょに泳いだだろうか。スバの後部デッキからニールとオブザーバーが手招きをしている。何だろうと思って近づくと「上がれ」と言う。言われるままに上がると「ミユキとお前、二人のスイマーがいるとどちらをメインにした方が良いか、パイロットが困っている。お前はもう上がれ」と言う。『まあ髭面ステラならそんなことも言うだろうな』と思い、言われるが真間にいっしょに泳ぐことは諦めた。諦めるもう一つの理由に、"目標物は一つの方が良い"と言う教訓も生まれていたからだった。

―水深―
 18時、目的地まで16.2km。波高1.5〜2m。方位149度。南西の風、15ノット。水温17℃。ピッチ62。マキシム+紅茶+フルーツ・シュガー。フランスがハッキリ見える。キンちゃんは盛んに足を痛がる。
 時折大型船がやけに接近して往来する。ニールはマリンVHF(無線)を使って避航するよう依頼するが、ときにそれはその願いが届かなかったりすることもある。オブザーバーは双眼鏡でその船名をチェックする。
 ドーバー海峡の水底の構造はちょっとおもしろい。最も深い部分でも水深は40m程しかない。海峡中央部分にフランスやイギリスと平行して浅瀬が壁のように連なっている。この壁の頂点の水深は20m程しかない。つまりフランスとイギリスの間に溝が平行して掘られていると思っていただければ良い。
 船舶航路はこの溝を利用した左右で"右側通行"として航路標識なども設定されている。したがってこの航路を横断する場合、船舶の喫水は20m未満に限られる。もし20m以上の喫水を持つ船舶だったらば、この溝に沿って航行しなければならない。
 おそらく異常接近してきた大型船舶は、この20m以上の喫水があったからだと思われる。しかしスバは「操縦性能制限船」の表示をしているのだから、本来はその大型船が我々の通過を待たなければならないのだ。しかし浅い海で泳いでいる人の通過を待たなければならない大型船パイロットの心境を察すると・・・。ゆっくり通過してくれれば良いかな?
 ちなみに船の全長が200mを越すと「巨大船」と呼ぶようになる。巨大船の満載喫水は30mに及ぶものまであって、これではドーバー海峡の航行が不可能になる。したがってドーバー付近に巨大船の存在は無いが、日本では太平洋岸が「日本海溝」で覆われている。日本海溝の水深は1,000m以上も結うにあるのだ。だから喫水が30m程度の巨大船でも屁の河童。逆に日本海溝を探るには「深海」などの特殊な潜水艇を使わなければならない。「遠泳」を考えると日本付近では巨大船も往来するので、海の泳ぎが停滞するのかもしれない。
 1974年にマラッカ海峡(インドネシア=>マレーシア)を泳いだことがあって、ここも水深が浅い。天候が悪く海が荒れると座礁を避けるため、海峡内に大型船は入って来ない。ところが天候が回復すると入って来る。それも先頭の船は探知機で深い場所を探しながらの"ノロノロ航行"をし、その後ろには蟻の行列のように大型船が数珠つながりに連なる。しかもそのほとんどが「×◎丸」と言った日本船舶で、石油運搬などのタンカーだ。その隙間を塗って泳ぐ。そのスリリングなこと。

―月―
 19時、目的地まで14.3km。波高2m。方位170度。南南西の風、12.4ノット。水温17℃。ピッチ67。マキシム+紅茶+フルーツ・シュガー。まだ時折足を痛がるが、誰が何と言おうとイギリスよりもフランスの方が近いのだ。
 20時、目的地まで13.5km。波高2m。方位145度。南南西の風、10.6ノット。水温17℃。ピッチ67。キンちゃんからもフランスが視認出来るようになったようだ。しかし表情はかなりの足の痛みと疲れで悲痛な顔をしている。夕日がきれい。ゴーグルをカラーからケミカル・ライト(ライト・スティック)付きクリアのゴーグルに変えさせた。しかしそのときのキンちゃんの手はガタガタと震えていた。
 21時、目的地まで12.7km。波高2m。日が沈んだと思ったら、しっかり月の出を見た。ん、日が沈んで月が出るということは大潮ではないか!!
 月の名(月齢)は十三夜か、十四夜。十五夜までは手が届かないが、充分に大潮の入りである。つまり潮流は速い。何でこんな日まで泳がせているのだろう? まあ、「泳がせてくれ」と頼んだのはこちらであるが・・・。
 22時、目的地まで11.3km。マキシム+コーヒー+フルーツ・シュガー。暗くて字が書けない。私がノートに書いた記録はこれで終わっている。次は記憶から書いていく事にする。

―苦渋の決断―
 ドーバー海峡の最狭部はイギリスのドーバーとフランスのグリネ岬。直線で34km程ある。スタート地点がドーバーから西のアボッツ・ビーチにずれたのも潮流や船舶交通及び地形など、いろいろな要因の総合的な判断から考えあげた結果だと思う。同様にグリネ岬、一般で"岬"と言えば海岸にせせり出た丘を想像するように、グリネ岬もまったくの"岬"なのである。岩場からせせりあげた海岸には"ビーチ"なるものが存在しないし、「最狭部」に相応しい速い潮流が岸を洗っている。しかしグリネ岬から東側のカレーにかけてのビーチは素晴らしいし、一部を除けば長いビーチが延々と続いている。終着駅がハッキリしていない遠泳では、ゴール地点は広い方が良い。そこでドーバー泳のほとんどはこのグリネ岬とカレーの間の長いビーチを終着駅、または折り返し地点としている。
 ほぼ真右にグリネ岬を見ている。岬に流れる潮は「張り出しの潮」と呼んでほとんどが沖に向かって流れる。しかし少し離れると張り出した潮を返す「返し潮」と言うのがある。これに乗せるのはパイロットのテクニックだと思うが、ニールはしっかりキンちゃんをこの「返し潮」に乗せてくれた。そこでぐっとフランスは近づいたのであるが、問題はそれからだった。グリネ岬からカレーにかけては緩やかな湾曲(凸)を描いている。グリネ岬の真横に入ってフランスまでの距離は7km程度まで迫っていた。ちょうど時間は23時ころである。
 「石井、ちょっと・・・」と言ってニールが操舵室まで私を案内した。そしてGPSの画面を見せながら説明を始めた。「分かっていると思うがこれが本船だ。この線は船の向き。この線は現在の本船が進行している方向を指している。で、ちょうど今が潮流の一番速いとき。すなわちこの進行方向に進んでしまうわけだ。今のミユキの泳ぐだけの速さはハーフ・ノット(時速1km程度)。ではフランスのビーチが湾曲しているため、流されてフランスの方が遠くなって行く。まああと6時間すれば転流するから元に戻る。そうすればミユキはフランスまで行きつくことが出来るだろうが、あと6時間持つだろうか? それにもう一つ問題があって、それは仮にミユキが6時間持った場合、この本船はカレーの港の前を往復しなければならなくなる。カレーの港は夜間でも船の航行は激しい。まして夜間では見難いし、とても危険が伴う。だから・・・、ミユキには悪いが早く終わらせるため、泳ぐスピードを上げるかやめるかにしてくれ」
 海ではキンちゃんが1回目同様「アウウゥゥ・・・」とか、「ハァァァ〜」とか、痛みと寒さに耐える声が頻繁に聞こえ続けている。
 「これは苦渋の判断だ」と、ニールは私の眼をじっと見つめながら静かに語った。外を見るとカレーの港にともる明かりがやけにまぶしく見える。ニールの言いたいことはよく分かる。デッキに出てキンちゃんを呼ぶ。「キンちゃんよく聞いて。今ね、流れに流されているんだ。だからフランスが遠くになっちゃう。このままだと6時間後にはフランスまで泳ぎ着く事が出来るかも知れないけど、そのためにはカレーの港の前を往復しなければならないんだ。カレーの港は夜間でも船の往来が激しいそうで、ニールは"危険過ぎる"と言っている。あとはね、キンちゃんが速く泳ぐしかないんだけど、今の状態では無理だろう。だからやめようと思っているんだ」、「ええっ、じゃあ上がって良いの?」、「いやもう少し泳ぎ続けたらね」、「・・・・・・」、自分の中では『好転するんではないだろうか』という期待があって、思わず出た言葉だったが現実は好転しなかった。ニールの言うとおり、フランスの明かりをよく眼を凝らして見ても現実に変化は無かった。「キンちゃん、やめよう。もう上がって良いよ」、静かに私は言った。
 キンちゃんが上がってレントゲンの検査着を着させる。その上からガクガク震える身体にコートなどを着させるとキャビンのベンチ・シートに寝かせた。コートと検査着の間にはカイロを入れて特に足を中心に身体を温めた。寝ながらキンちゃんは「今日のことを話して」と私に頼む。「今日はね・・・」とキンちゃんが泳ぎ始めてから今に至るまでを話した。「フリーダ、迎えに来るよね?」、「ああ」、「何て言おうか?」、「俺はもう決めてある」、「そう・・・」、「心配しないでもう寝なさい」。
 スバがドーバーの港に帰ると深夜にもかかわらずやはりフリーダが迎えに来てくれていた。キンちゃんを抱き締めると「よくやったよ」と声をかけてくれた。そこで私が「来年、もう一度お願いしたいのですが」と言うと、「ワンダフル、そうね、やはり来年は1Wayからやりなさい。いきなり2Wayはダメよ。それから予約は1stにすることね。いつやる予定?云々」と次から次へとまくし立てられた。そしてフリーダのアドバイスは彼女の運転するクルマで我々が宿に着くまで続いていたのである。もちろん深夜帰宅の我々は宿客を起さぬよう、そぉ〜っと部屋に入っていった。

 

 

 石井晴幸さん プロフィール  
トラジオンスイミングクラブ代表
海峡横断泳実行委員会会長

1952年 東京生まれ
1971年 日本大学文理学部体育学科入学
  同年   いわゆる「遠泳」を体験する
1972年 「遠泳男」と異名を取る故中島正一氏に出会い、影響を受ける
1973年 海の泳ぎを目的に、「トラジオンスイミングクラブ」を結成
      以来、国内外を始めとし各地で海を泳ぎ渡る
1988年 「海峡横断泳実行委員会」を設立
1989年 この年より、長距離泳に親しんでもらう為
      「スイムマラソン12大会(プール)」を開催
1990年 この年より「遠泳フォーラム」を開催
      (「安全に海を泳ぐための知識」 「海を泳いで渡った人の体験談」など)
1995年 この年より、海の泳ぎに親しんでもらう為
      「城ヶ島ロングディスタンススイミング大会」を開催

主に泳いだ海
<国内>
 津軽海峡、伊豆下田 ⇒ 伊豆大島、佐渡海峡、足摺岬 ⇒ 室戸岬
 伊豆大島 ⇒ 房総館山、その他

<海外>
 マラッカ海峡 (Indonesia ⇒ Malaysia) ジブラルタル海峡 (Spain ⇒ Morocco)
 日本(対馬) ⇒ 韓国(釜山) 中国(揚子江) USA (A round of Manhattan-Island)
 ドーバー海峡 (England ⇒ France) その他(国内外、大小合わせ海を泳いだ数は100例を越す)
 ドーバー海峡
   1990年 (Solo: 1Way)、1997年(Solo: 1Way)、1999年(Relay: 1Way)
    2001年(Relay: 2Way)、2002年(Relay: 1Way)