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泳ぐ旅人・いざわっち、ベトナムを泳ぐ。
・・・2002/04
〜プロローグ〜
2001年12月、海人クラブ代表 大貫さんからクリスマス会のお誘いメールが来た。“わ〜い、お誘いだぁ。”と喜んだのも束の間、私はある1行に目が釘付けになった。
“ベトナムのチャム島からホイアンまで18kmを泳ぐという企画の発表があります!”
私は興奮で飛肌が立った。実は、2週間後、2ヶ月間の東南アジア放浪の旅に出発する事になっており、ベトナムにも立ち寄るつもりでいたのだ。
クリスマス会当日、大貫さんにベトナムに行く予定だと告げると、“じゃあ企画発案者に会ってきて!”
と言う。
“へっ!?
それってナニジン(何人)?”と不安に思ったけど、コレも何かの縁。ナニジンでも会ってこようと決めた。
(結局日本人でホッとした)
〜そして私はベトナムで中村さんに会ってしまった〜
この人おもしろい!! これが第一印象。
あとから、あとからやりたいことが浮かんできて止まらないといった感じ。
子供のように夢を見て、それを夢で終わらせないエネルギーを持っている。私はこの人の企画にのろうとはっきり決意。
お金もないし、時間もない。でも、そんな事は何とでもできる。この縁を、この話が私のところに来た偶然を、私が今ここで中村さんの話を聞いている瞬間を、無駄にしたくなかった。
そして中村さんには大貫さんという強力な助っ人を得、ベトナムでのOWSのイベントが実現になろうとしている。
2002年2月、いざわっちの2ヶ月の旅終了。

そして2002年4月23日・・・
・・・
いざわっちは再びベトナムへ向け出発する・・・
〜辿り着けない編〜
・・・2002年4月25日
23日夕方日本を飛び立ったいざわっちは、その夜、乗り継ぎ地点のシンガポール空港のベンチで夜を明かすことになる。
空港内は冷房が効きすぎていて寒く、不自然な態勢に足はむくみ、肩は懲り、結局空港内を徘徊して時間をつぶす羽目に。
さらに夜中、空腹に耐えられず協賛してもらっているパワーバーをかじる姿は、自分でも気の毒になった。
ただの旅ならば何てことないことだけど、今回の私はスイマーでもあるのよ。
翌朝10時、ようやくハノイ行きの便に乗り込み、無事ベトナム着。
予定では、夕方の国内線でベトナム中部のダナンという街まで飛び、現地入りするはずだった。
夜には海と対面し、やる気になってるはずだった!
しかし!!国内線は、すべて満席。
明日の夕方まで席が取れないという。
というわけで今、ハノイ。
昨日の夜は、一人旅の日本人たちが集う屋台で水のようなビールをがぶ飲み。
今のあたしは、ただの旅人。
今日夕方5時の便で、今度こそ海とご対面よ!!
いざわっちは泳ぐ生き物。
1週間泳がないと、体が変調をきたし、陸の生物になろうとする。
そして私はもう1週間以上まともに泳いでいない。
18キロ泳ぐまで、あと3日。
今の心境、・・・・かなり不安。
〜ピンチ編〜
・・・2002年4月26日
くもりのち快晴・気温・死ぬほど暑い
早朝、お世話になっている日本人に連れられて、朝のひと泳ぎ。
バイクに乗せられ約10分。
地元の人々が集うミーナビーチに到着。
ここから、今回のイベントのゴール地点であるクアダイビーチまで、約35キロ、ひ
たすらビーチが続いている。
遠目から海を見たとき、波は穏やかで泳ぎやすそうだなって思った。
色は深いモスグリーン。正直言ってあまりきれいとは言えない。でも、透明度はまあ
まあ。
恐る恐る、海へ。
水温はかなりあったかい。27度位あるかな。
そして、意を決して沖へ向かって泳ぎだした30秒後、私はパニックに陥りそうになった。
クラゲの大群・・・。
でも、泳ぎはじめてしまった手前、ここで引き下がっては女が廃る。
(廃ってもいいとちょっと思った。)
ときどきチクっと痛みが走り、ピリピリっとしびれが来る。
もうめちゃめちゃに1キロほどを泳ぎ、結局、とっとと退散。
18キロも泳いだら、100個所くらい刺されるんじゃない?
あたしはすっかり憂うつになった。

今日の夕方、一緒に泳ぐ日本人の皆さんが到着する。
この事をみんなに告げるべきか、告げざるべきか・・・
私たちは明日、船にてスタート地点のチャム島に向かう。
スタートは、明後日だ・・・。
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